TERUです。
日本では大河ドラマで西郷隆盛のことをやっているようですね。
明治維新により、欧米文化が日本に輸入された事により、日本に色々な発展をもたらした事は確かだと思います。
そして、大東亜戦争で負けた日本に、西洋文化が更に流れ込んできました。
その結果、何かしらの恩恵があった事は誰も否定出来ない事だと思います。
その一方で徐々に西洋文化に蝕まれ、日本人が無くしたものもあるはずです。
昔、こんな記事を書きました。
日米のコミュニケーションの違いを生む2つの理由とは?
この記事の中で、僕はこう書きました。
敗戦後の日本に欧米の文化が入ってきて
「個性の主張」
「精神の自立」
が、日本人のアイデンティティーに入り込んできました。しかし、欧米の文化は日本人が古来から持ってきた
「和をもって尊しとなす」
から脈々と続く精神と真逆のものでした。
つまり、誤解を恐れず極端な言い方をすれば
「周りの人間と距離を置き、他人と自分を切り離す」
事だったのでないかと思います。
生活が快適になっていく一方、隣人との距離感、地域との一体感が、(特に都市部では)失われていっている気がします。
(僕が住んでいた佐賀県鳥栖市では、まだ隣人との距離感や地域との一体感は充分にあったと記憶しています)
最近、僕の地元では、老人の孤独死が問題になっています。
そして、子供への虐待ニュースも後を絶ちません。。。
それらの原因は、色々とあるでしょう。
でも、そういった日本人らしさの喪失を、1890年代に予期して憂いた人が居ます。
日本の将来を憂えたその人は、樋口一葉。
現在の日本の5000円札の肖像にもなっている方です。
日本が明治という新しい時代に移り変わって、まだ30年もたっていなかった明治26(1893)年。
こんな事を、樋口一葉は、日記に書きました。
安きになれては、
おごりくる人心のあはれ、
外つ国(とつくに=西洋)の花やかなるをしたひ、
我が国振りのふるきを厭(いと)ひて、
うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、
なりふり住居(すまい)の末なるより、
詩歌政体のまことしきまで移りて、
流れゆく水の塵芥(ちりあくた)をのせてはしるが如く、
何処をはてととどまる処を知らず。
流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」
要約すると・・・
「日本人は、安直なものに流れ、驕りたかぶり、西洋ばかりを慕って、伝統文化を嫌うようになってしまった。この日本の未来が心配だ」
という事です。
※もし、間違っていたら御指摘下さい。
もし、樋口一葉が現代の日本を見たら、どう思うか?
過労死、幼児虐待、孤独死、様々な問題が起こり・・・
若者は心が疲れ若々しさを失って、刹那的な刺激を求めている現代。
物があふれて、欲しいものが何でも手に入るようになった一方、
希望だけが失われていく。
「ありのままで」
なんて言葉が流行り、自分の足で自分の人生を決めようとしない。
そんな現代日本を見たら、樋口一葉は
「日本人よ もっと迷っていいから、自分を持ち、自分の道を歩こう」
というような事を、僕たちに言ってくれる気がします。
日頃、5千円札を使うときに、樋口一葉が遺した言葉を思い出してもらいたいです。