フレッド・コレマツ氏:大統領令と戦った日系人と強制収容の歴史

4.フレッド・コレマツさんの戦い

 

【第二次世界大戦中の日系人の強制収容の適法性について】

戦時中の裁判では、日本人のスパイ活動が事実で、強制収容は必要な措置だったとの結論が出ました。
フレッド・コレマツが日系アメリカ人の強制収容は違憲と主張し提訴したことから、この裁判は始まりました。

フレッド・コレマツさんは、
『アメリカに対して、人種や宗教、肌の色に関係なく、同じアメリカ人が(強制収容という)扱いを二度と受けないようにして欲しい』
と訴えてきました。

 

コレマツさんの名誉が回復されたのは、1983年のことでした。
83年に「強制収容は人種差別などに基づくものだった」という判決が下されることになります。

 

そして、合衆国政府としては、1988年にロナルド・レーガン大統領が「市民の自由法(日系アメリカ人補償法)」に署名した際に、強制立ち退き、強制収容を経験した日系人に対して謝罪をし、保障をする法案に署名しました。
(生存する日系アメリカ人全員に2万ドルの保証金が支払われました)

※しかし最終的には1944年に違憲ではないとの判断が下り、この判決自体は現在でも覆っていません。
2011年にはアメリカ合衆国司法省が公式的に過ちだったことを認めました。

 

【フレッド・コレマツさんの功績】

フレッド・コレマツさんの活動は、決して無駄ではありませんでした。
2005年の国勢調査において日系アメリカ人の数は122万1773人。
アメリカ合衆国の総人口の0.4%を占めています。
その内多くの日系人が、アメリカ各地で活躍し、要職をしめています。

・第442連隊戦闘団で戦い、右腕をなくしたダニエル井上は、その後上院議員になりました
・9.11事件の直後、アメリカ中の航空機の飛行を禁止し、混乱を収め素晴らしい行政手腕を見せたミネタ運輸長官
・イラク戦争時に陸軍参謀総長であり、ラムズフェルド国防長官に正論を提言し、参謀総長を辞めさせられたエリック・シンセキ

フレッド・コレマツさんは、2005年に亡くなっております。
そして、カリフォルニアやハワイ州などは、彼の誕生日の1月30日を「フレッド・コレマツの日」に指定しています。

 

グーグルが、トランプ大統領の大統領令に意を示し、Doodleにコレマツさんの誕生日である1月30日に、コレマツさんの「何かおかしいと感じたら、声を上げることを恐れてはいけない」という言葉とともにコレマツ氏の生涯を紹介したことは、本当に意味のあることであったと思います!!




 

5.まとめ

今、アメリカと世界は時代の過渡期の中に居ます。

2017年1月末に、ドナルド・トランプ大統領は、大統領令でイランを初めとする中東・アフリカ7ヶ国の入国制限を行いました。
(大統領令で、イラン、イラク、イエメン、スーダン、ソマリア、リビア、シリアといったイスラム教が主体の7カ国の国民について、ビザや永住権(グリーンカード)を保持している人であっても、米国への入国、米国行きの航空機への搭乗を90日間保留するというものです。また難民受け入れも120日停止しています)

 

そのような動きがある中、グーグルはフレッド・コレマツさんの「何かおかしいと感じたら、声を上げることを恐れてはいけない」という言葉とともにコレマツ氏の生涯を紹介しました。

 

こんな時代だからこそ、日本人としてフレッド・コレマツさんのことを忘れてはいけないと思いますし、「何かおかしいと感じたら、声を上げることを恐れてはいけない」というコレマツさんの言葉を心に刻み、行動に移すべきです。

最後に、友人が撮影したこちらの写真をご覧下さい。

自由の女神は、過去何百万、何千万もの移民達を歓迎したアメリカが移民の国である象徴です。
その自由の女神と日本の事実上の国花である桜の「日米の調和」を示すような写真です。
※本人の許可を頂いて掲載しております。

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