TERUです。
「君が代」
とは、言わすと知れた日本の国歌です。
スポーツの場だけでなく、様々な場所で「君が代」は歌われます。
しかし、毎年入学式や卒業式で問題になるのは、
「君が代」を反対している教師達が、
『戦前も歌われていた「君が代」は天皇賛美、戦争賛美の歌だから反対として歌わない』
という事です。
僕も、学校(小学校、中学校、高校)では、きちんと
・「君が代」の歴史
・「君が代」の歌詞の意味
などを学びませんでした。
でも、アメリカに来てからスポーツ観戦などをする時に、
国歌斉唱の時にはアメリカ人が必ず起立し、
帽子を脱ぎ、歌う姿を観てから、
「どうして日本の国家である『君が代』には、マイナスのイメージが付いているんだろう?」
と考え、「君が代」の歴史や歌詞の意味などを勉強するようになりました。
そして、まさか自分が何となくという理由で日本在住時代に行っていた
・神社巡り
・小学校時代に読んだ「日本神話」、
・渡米してから学んだ「君が代」
に深い関連があるとは思わず、
日本の歴史をさらに深く勉強するキッカケにもなりました。
また、もう1つ。
僕がアメリカ大学院留学時代に、
国別対抗ソフトボール大会がありました。
その時、各国の留学生達は自陣ベンチの近くに国旗を掲げていました。
勿論、僕も”ある意味”日本代表として、
日の丸を持っていき、ベンチに掲げようとしました。
そうしたら、日本人チームメイトから
「えっ?TERUさんって、そっち系なんですか?」と言われました。
それに対し、きちんと日の丸の意味や日本の歴史に関して
話を日本人に出来なかった事が、非常に悔しかったです。
『日の丸』
『君が代』
このキーワードを出すと、日本国内だけでなく、
日本国外でも忌み嫌われ、ちょっとした白い目で見られます。
これは、完全に教育の悪影響だと思っています。
日の丸は、日本の国旗
君が代は、日本の国歌
その生い立ちや歴史をきちんと学び、シェアすること。
月並みな言葉ですが、これは凄く大切です。
そして世界に出たときに、
「自分の国の歴史、生い立ち」
「国歌」
「国旗」
のことを知らないことは、
・どんなに学歴が高くても
・どんな立派な職業に付いていても、
僕は人間的にアイデンティティのない悲しい人間だと思います。
「12・13歳までに自国の神話を学ばなかった民族は例外なく滅ぶ」
イギリスの有名な歴史学者、アーノルド・J・トゥインヴィーは、言っています。
戦後、GHQは「神道指令」を発令。
宗教・神話としての神道を日本人から奪い去りました。
「古事記」「日本書紀」を
「史実ではなく非科学的である」
として教える事を止めさせました。
でも、ここで不思議な事があります。
GHQの中心的国家であるアメリカは大統領の就任式に、今でも聖書に手を置いて宣誓します。
その聖書は史実で科学的なのかな?
ってことです。
マリアの処女受胎やキリストの数々の奇跡と、奇跡のオンパレードです。
とても、史実、科学的だとは思えません。
かといって、GHQ(特にアメリカ)が悪いと言っている訳ではありません。
勝った国が、負けた国を貶めるのは戦争においては残念ながら当たり前です。
そうやって、当時の日本民族の精神破壊を徹底せざるを得なかったのも、納得は出来ませんが、理解は出来ます。
こういう事は、普通の学校では教わる事は無いですよね。
僕も勿論教わりませんでした。
教わらないのであれば、日本人は、もう少し自発的に
自国の神話について勉強すべきだと思っています。
また、2月11日は、日本の建国記念の日。
そこで、まず日本の国家である
「君が代」に関しての記事を書こうと思います。
※今回の記事は、様々な書籍や資料などから、僕が「これは納得できる!」と思ったものから考察しています。
決して、この記事内容が100%正しい。というものではなく、色々な解釈があってしかるべきだと思っています。
【目次】
1.「君が代」の歌詞の意味
2.「君が代」の歌詞の知られざる歴史
1.「君が代」の歌詞の意味
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
これらの言葉を、出来る限り細かく分解して
解説してみましょう。
・「君」の意味
・「代の」意味
・「千代に八千代に」の意味
・「さざれ石」の意味
・「巌」の意味
・「むす」の意味
を、それぞれこれから説明していきます。
色々な人が物事を調べるときに使うWikipedia。
ここには「君が代は、日本国の国歌。「 天皇の治世」を奉祝する歌であり、
「祝福を受ける人の寿命」を歌う和歌を元にしている。」と書いてあります。
『「 天皇の治世」を奉祝する歌』に根本的な間違いがあります。
そもそも、この
君
という言葉は、天皇陛下のことを表す意味ではありません。
また、「君」は君主をあらわすという人がいますが、それも間違いです。
「君(きみ)」の意味とは?
【君】:漢字の意味
漢字の「君」は、「口」へんと「尹(イン)」を組み合わせた文字です。
「尹(イン)は、「手」に「|」(つえ)を持っている姿で、
「尹」は「聖職者」をあらわします。
その聖職者が口を開けて、何かを説いている姿が「口」+「尹」です。
つまり「君」という字は、
「尊敬の意味を含んだ高貴な人」をあらわす文字
なのです。
だからこそ、源氏物語では「朝顔の君」や、「藤袴の君」など、美しい女性たちに「君」の尊称をつけています。
「君」が天皇をあらわすというのなら、
源氏物語の女性たちは全員、天皇ということになってしまいますよね。
【君】:読みの意味
その「君」という漢字に、古代の日本人は、
もとからの日本語にある「きみ」という読みを当てました。
「君が代」の歌詞の一番最初で歌われる「きみ」。
この「きみ」とは、どういう意味の言葉で使われているのでしょうか?
実は、古代日本語で
「き」は男性、
「み」は女性
をあらわす言葉でした。
日本神話に登場する最初の男女神は、
・イザナキノミコト
・イザナミノミコト
でした。
「イザナキノミコト」の『き』
「イザナミノミコト」の『み』
この2人の神の名前の一文字ずつを取った言葉が「きみ」になります。
古代の日本人は、この「きみ」という言葉を「君」という感じに当てたのです。
ここで、簡単にイザナキノミコト、イザナミノミコトに関して説明をしておきます。
日本の神話においては、
イザナキ、イザナミ以前の神々には
性別はありませんでした。
日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、
「イザナキ」「イザナミ」です。
最初の男女神は、
・イザナギ(=いざなう男)
・イザナミ(=いざなう女)
として登場します。
「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」になります。
右がイザナギ、左がイザナミ。
二人は天の橋に立っており、矛で混沌をかき混ぜて島(日本)を作っている場面です。
古事記上でのイザナキ、イザナミの物語は、
「誘(さそ)いあう男女の物語」でもあるわけです。
二人は天つ御柱で出会い、
イザナキ「我、成り成りて、成り余るところあり」
イザナミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」
と声をかけあいます。
そして、互いの余っているところと、
足りないところを合体させて、子を産みます。
この「成り成りて」ですが、
「成り」=「完全に、完璧に」という意味です。
つまり、
『自分は、知性も肉体も、まさに完璧に成長した。したけれども、互いに「余っているところ」と「足りないところ」があった』
という意味になります。
完璧になったはずなのに、完璧ではなかった。
これは矛盾します。
だから、二人は互いの余っているところと、足りないところを合体させて、より完璧になろうとしました。
すると「子」が生まれたのです。
そして、成長した彼らは他の神々から敬われ、祝福を受けるようになります。
上のイザナキノミコト、イザナミノミコトからも分かるように、
この言葉を作った古代の人達は、
「きみ」=「男と女」それも「成り成りた男女」
という意味を与えました。
男女が「成り成りた」ということは、
本人たちだけでなく、親や親戚、周囲の者たちの喜び(子供)を与えます。
「成り成りた」男女は、尊敬の対象でもあります。
ですから、この「君が代」の「きみ」という言葉は、
「完全に成熟し成長した男女の喜び」
「尊敬し敬愛する人の喜び」。
つまり
「きみ=完璧に成長した男女によって生まれた子供達(=我々日本人)」
という意味になります。
「代」の意味とは?
代とは、「人」べん+「弋」という字の組み合わせです。
人べんは、横から見た人の象形文字です。
弋は、「2本の木を交差させて作ったくいの象形」から
「人が、たがいちがいになる」という意味になります。
そこから、「代」は
「人が生活を営む期間」
「寿命・いのち」
という意味に派生してきました。
つまり、「君が代」とは
「完璧に成長した男女によって生まれた子供達が、時代を超えて」
という意味になります。
そして「千代に八千代に」と続いていきます。
「千代に八千代に」の意味とは?
代は、「人が生活を営む期間」「寿命」という意味に派生した。
と先程書きました。
つまり、「千代に八千代に」とは
「いつまでも、いつまでも長く続きますように」
「何千年も、その先のいく千年も長い間」
という意味になります。
古代の人達は、言葉遊びが本当に上手ですよね!!
「さざれ石の 巌(いわお)となりて」の意味とは?
「さざれ石」というのは、高校で地学を学んだ人は覚えているかもしれませんが、
正式名称を「礫岩(れきがん)」といいます。
礫岩とは、細かな石が長い年月をかけて固まって巌となった岩石です。
(さざれ石)
【さざれ石=礫岩(れきがん)とは?】
さざれ石は「細石」という当て字で表されます。
実はこの「礫岩」は、日本列島が生成されたことによって生まれた、
日本ならではの地勢が生んだ岩石です。
日本列島周辺に存在する大陸間プレートがお互いを押し合い、
プレートで運ばれた小石が堆積していきます。
そして、何千万年、何億年という月日を重ね、堆積した小石たちが、
プレートの凄い圧力に押されてくっついていきます。
そして、礫岩になっていくのです。
やがて地殻変動を経て、地上に出てきて山脈となり、
その山脈でみつかるのが礫岩(さざれ石)です。
【古代の人たちは、礫岩(れきがん)を、どのように見たのか?】
こんな事を古代の人達が知っていたとは思えませんが、
「八百万の神」という言葉が示すように、
古代の日本人は山、川、岩、空、などの全てのものに神が宿るという考え
を持って、畏敬の念を持って、神に祈りを捧げて来ました。
多分、古代の人たちは礫岩を見て、
長い年月をかけた自然の偉大な力には畏敬の念を感じたのだと思います。
昔の人の一生なんて、現代人に比べたら凄く短くはかない物であった筈です。
長い自然の歴史の中で小さな小石が結束して、
大きな岩石「さざれ石」となっていきます。
それを見た古代の人達にとって、
巌となったさざれ石=「大きな力のもとで固く固く団結し合い、協力し合い、団結する象徴」
では、なかったのではないでしょうか?
巌(いわお)とは?
巌とは、ここでは単に「大きな岩石」としておきます。
「さざれ石の 巌となりて」の歌詞の意味とは?
ここで、疑問になるのは、
何故「君が代は」「千代に八千代に」の続きに、
この「さざれ石の 巌となりて」
という詞が歌われたのか?ですよね。
日本では古来「人は生まれ変わるもの」と信じられてきました。
(=肉体は老い、死を迎えても、魂は再び人となってこの世に生まれる)
つまり、
『完璧に成長した男女によって生まれた子供達が、時代を超えて』
『何千年も八千年も(=長い間)』
「さざれ石の巌となりて」
(=永遠に生まれ変わっても なお結束し合い、協力し合い、団結して)
という意味で、未来への希望を歌う歌として歌われたのではないでしょうか。
ちなみに、巌となったさざれ石は、実際に日本各地に存在しています。
代表的なものとしては、
・岐阜県春日村のさざれ石
・三重県二見浦の夫婦岩
・京都の勧修寺
・京都の賀茂御祖神社
にあります。
この中でも、岐阜県春日村にある石は、
国の天然記念物に指定されています。
何故、この当時の歌の中で「さざれ石」という言葉が使われたか?
というのはハッキリはしていません。
実は、この歌自体が誰が歌ったものなのかが分かっていません
平安朝時代に書かれたお伽草子の中の登場人物の、
お姫様の名前に「さざれの君」というものがあり、
そこがもとになっているとも言われています。
「苔のむすまで」の意味とは?
苔(こけ)に関しては、殆どの人が分かりますよね。
苔は、カビとは違い、
冷えきったり乾燥しているところには生えません。
苔は、濡れていて、水はけの良いところに生育します。
つまり、、、
濡れたものと、固いものが、しっかりと結びついたところに
苔は生えていきます。
では、「むす」とはどういう意味でしょうか?
この言葉を理解するために、日本神話を見ていきましょう。
「むす」とは、天地の初めに現れた造化三神の2神
・タカミムスヒ
・カミムスヒ
の「むす」に由来します。
『古事記』では、この2神は、天孫降臨の際には、
主神であるアマテラスの上に立って指示を出し、
さまざまな神々を葦原中國(あしはらのなかつくに)に派遣しています。
国譲りの神話でもアマテラスとともにオオクニヌシに圧力をかけ、
国譲りを迫っています。
また、神武天皇が熊野から大和に侵攻する際も夢に登場し、
彼に霊剣・布都御魂(フツノミタマ)を授け、
ヤタガラス(八咫烏)を派遣して手助けしています。
このように、非常に力を持った神様でした。
この賛歌が作られた時代には、勿論ブログもFacebookも、漫画もなくもない時代です。
国宝でもある鳥獣人物戯画も、12世紀 – 13世紀の連番の作品と言われています。
後年に書かれた「枕草子」によると、平安貴族たちにとって「古今和歌集」の暗唱は、常識だったのだそうです。
日本最古の歴史書である古事記が作られたのは、和銅5年(712年)です。
当時の人達は、
・古事記のような書物を読み、
・日本の生い立ちの歴史を知り、
・その歴史を信じ、それにまつわる和歌を沢山作ってきました。
そのような時代において、「むす」という言葉は2神が生成神でありながら、
同時に農耕や生産に関係しているため、当時の人たちが凄く大事にしていた言葉なのではないか?
ということが、容易に想像できます。
さらに「むす」を『生す』と漢字であらわすと、
「生す」
という字になります。
「生す」とは子供を養い育てると言う意味
があります。
つまり、「苔のむすまで」とは
『苔は永遠に存在するものではなく、その中で新しい生命が誕生し、古いものが死に土となり、新しいものを生み育て徐々に広がりをみせる』
という意味になります。
人は老い衰え死んでいきます。
でも、新たな生命が生まれ、その命が新たな命を生み育てていきます。
そこから、「(子孫達よ)固い絆と信頼で結びついていこう」という意味になります。
古今和歌集などに載っている昔の歌を古文の授業などで、一度でも学んだことがある人は分かると思いますが、、
和歌とは、その歌の文字だけを読むのではなく、
その韻、リズム、言葉遊びを楽しむものでもあります。
「苔のむすまで」が、どうして『固い絆と信頼で結びついていこう』となるのか?
はすぐには分からないと思います。
でも、その時代のことを想像し、何をもとに勉強し、和歌を詠んだのか?
そういう事も含めて考えていくと、和歌の面白さが分かると思います。
そうする事で、今まで説明したような
「君が代」の歌の背景も見えてくると思います!!
今まで「君が代」の歌詞を細かく分解して説明してきましたが、
如何だったでしょうか?
今までのことをまとめると、下記が「君が代の歌詞の意味」になります。
【君が代の歌詞の意味】
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで
(訳)
完璧に成長した男女によって生まれた子供達が次代を超えて
何千年も八千年も長い間
永遠に生まれ変わってもなお
結束し合い、協力し合い、団結して
固い絆と信頼で結びついていこう
となります。
つまり、君が代の歌が日本国民に伝えたい本当のテーマは
『子孫繁栄を願う』
である、と僕は考えています。
何故「子孫繁栄」という風に解釈できるのか?
それは、古代日本に起源を辿ることができるとされる宗教である「神道」に由来します。
日本の神道の中心にある考えが『育てる』
だからです。
神道とは?
神道は、山や川などの自然や自然現象、
また神話に残る祖霊たる神、怨念を残して死んだ者などを敬い、
それらに八百万の神を見いだす多神教です。
2.「君が代」の歌詞の知られざる歴史
「君が代」は、天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言う人がいますが、
無学で実に程度の低い話です。
僕も、それに近い内容で昔教わりましたが・・・
以下では、「君が代の歴史」についてお話します。
・君が代の歌詞は、いつ出来たのか?
・君が代は、いつ国歌となったのか?
君が代の歌詞は、いつ出来たのか?
「君が代」という言葉が初めて文字として出てきたのは、
1228年に書き写された「和漢朗詠集」という歌集(1013年が初版本)に出てきます。
よく、古今和歌集が初の出典である。という話がありますが、
古今和歌集に出て来る歌詞は、下記の通りです。
この古今和歌集の中にある原詞(もとうた)は
わがきみは
千世にやちよに
さざれいしの
いはほとなりて
こけのむすまで
です。
鶴の左側の赤丸の中が古今和歌集内の歌
古今和歌集とは?
です。
この年に編纂された
【古今和歌集とは?】
「古今和歌集」は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。
作られたのは、平安時代初期の延喜5年(905年)
今で言えば、日本政府が編纂した公的歌集。
万葉の時代から撰者たちの時代までの
140年間の代表的作品を集めたものです。
この歌は、「古今和歌集」の7巻(全20巻)に、
「賀歌」の代表作として納められています。
「君が代」という歌は、「古今和歌集」の7巻に、
「賀歌」の代表作として収められています
序文はカナで書かれていて、
その執筆者は紀貫之(きのつらゆき)です。
一度は、この方の名前は聞いたことありますよね
【賀歌とは?】
賀歌とは、人の愛と繁栄と団結を高らかに謳い上げた、『お祝いの歌』です。
その古今和歌集の中の作品の中に
「読み人知らず(作者不明)」
として「君が代」が掲載されています。
作者不明でありながら、当時の日本国家が編集した歌集に入っていたのです。
そこから容易に想像できることは、
すでにこの時点で多くの人に愛された歌であった
という事ではないでしょうか?
その「お祝いの歌」の代表作として紹介されたのが、「君が代」なのです。
「君が代」は、貴族たちの慶賀の歌としても、常識歌であったはずです。(僕の予想です)
【君が代の歌詞は、恋の歌なのか?】
原詞(もとうた)が、「わがきみ」っとなっている事から、
この歌が、読み人知らずで誰が詠んだかは分からないけども
平安時代(8百年頃につくられたと考えられている)の、
ある女性が、敬愛する男性に送った「恋の歌」である。
という説もあります。
原詞(もとうた)は、そうかも知れませんが、僕はその後に編纂された
「新撰和歌集」や「和漢朗詠集」にも転載されていくなかで、
「恋の歌」から「子孫繁栄の歌」として変わっていったのではないかな?と考えています。
何はともあれ、「君が代」は、平安時代に生まれ、江戸時代には庶民の一般的な祝いの席の謡曲として、広く普及していきました。
つまり、
「君が代」という歌は、1100年以上もの歴史のある歌
であるという事です。
(世界最古の国歌は、日本の君が代である。その歌詞は。9世紀にはじまる」とギネス認定もされています)
【君が代は、いつ国歌となったのか?】
上で述べたように
・歌詞自体は延喜5年(905年)に編纂された『古今和歌集』の短歌の一つ
・その歌詞に、曲が付けられたのが1880年(明治13年)。
・そして1999年(平成11年)に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に日本の国歌として法制化されました。
以上が、長くなりましたが、
・君が代の歌詞の意味
・君が代の歴史
についての、僕の考察になります。
歌詞の意味については、色々な見解があると思います。
だって、原歌が約1200年間に作られて、それを誰が作ったのかも分からない。
それが、今でも受け継がれているんです。
僕は、色々な本を読んだり、調べたりした結果、こういう考察に辿り着きました。
「絶対にこれが正しい!」
とか
「真実はこうだ!」
なんていう気はありません。
大事な事は、自らの頭で考えることだと思います。
長文になりましたが、読んで頂いて有難うございました。
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読ませて頂きありがとうございます
天におられる神から良いヒントをもらったかも!
私はこう考えました
君なる者は聖なる者
人間が育つ過程でその者に教えられ
死ぬことも新たに生きることも繰り返される
揺るがない固い場所で
隅の頭石となるように
『苔は永遠に存在するものではなく、その中で新しい生命が誕生し、古いものが死に土となり、新しいものを生み育て徐々に広がりをみせるもの』
聖なる者と結ばれる事で
永遠に生きる者となる
謙遜な態度の皇室の方々は
天におられる神を崇め
また拝しているのではないでしょうか
クリスチャンに伝えたい
偶像崇拝にならぬよう
君が代を頑なに歌わない行為をみて
誤解をしているのかもと
平和を祈る者より
三日月うさぎ様
コメント有難うございます!
アメリカに来てからというもの、「愛国」ってどういう事なのだろう?と深く学ぶ事が増えました。
右左というイデオロギーではなく、過去の自国の正しい歴史を知り、良い部分も悪い部分も含め、自国の事を愛する、誇りに思うのは”当たり前”のことだと思っています。
今回の記事が、参考になったようで幸いです。