リベラルアーツとは?その意味と語源。日米教育の比較をしてみた

TERUです。

 

2月17日(金)に、NBAオールスターゲームが行われました。

その中で、NBAオールスターテクノロジーサミットというイベントがありました。

そのイベントで、マーク・キューバン氏が、未来の仕事に関して独自の意見を言って、話題になっています。

 

彼の主張をまとめると、

ファイナンスや、ソフトウェアプログラミングを学ぶ必要はない。

むしろ、10年後にはリベラルアーツの方がよっぽど需要が高くなる。


データがいくらでも利用可能になり、いろいろな選択肢が検討できるとなれば、今度はそのデータを理解するための別の観点が必要になってくる。

つまり、より幅広い視野で考えられる、自由な思想家が必要になる。

その為には、リベラルアーツが大事になってくる

マーク・キューバン
マーク・キューバン=NBAチーム、ダラスマーベリックスのオーナーでもあり億万長者

 

日本では、リベラルアーツというと「教養学」という言葉で片付けがちです。

そもそも、それが間違えているのですが、殆どの日本の大学教育ではきちんとしたリベラルアーツを学べる大学もありませんし、リベラルアーツそのものを勘違いしている人が大多数です。

 

僕は、大学までは日本で教育を受けましたが、大学卒業後に就職後、渡米してアメリカの経営大学院で修士号(MBA)を取得しました。

その時も、僕の事を気に入ってくれた教授から、特別枠という事で学部生の授業に(無料で)参加させてもらった経験から、日米の大学の教育現場の違いを肌で体験する事が出来ました。

そこでリベラルアーツに関して、僕なりの知識と経験とを通じて、
・日米のリベラルアーツに関する考え方の違い
・教育システムの違い
などをまとめたいと思います。
(ヨーロッパに関しては、経験がないので省きます)

 

【目次】
1.リベラルアーツとは?
2.アメリカにおけるリベラルアーツ
3.日本におけるリベラルアーツ
4.日米の大学教育の根本的な違い
5.まとめ

 

 

1.リベラルアーツとは?(歴史と、言葉の定義)

リベラルアーツという考え方の歴史は、ルーツは古代ギリシャにまで遡ります。

『リベラルアーツ=人間(奴隷)を良い意味で束縛から解放するための知識や、生きるための力を身につけるための手法』

 

その後ローマ時代に、

リベラルアーツ7科

という形に定義されました。

 

リベラルアーツ7科とは?

3学(three arts, trivium)

4科(four subjects, quadrivium)

文法(Grammar) 算術(Arithmetic)
修辞学(Rhetoric) 幾何(Geometry)
弁証法、論理学(Logic) 天文(Astronomy)
音楽(Music)

 

この7科の上には、「哲学(Philosophy)」があり、

さらにその上に「神学(Theology)」がありました。

 

その後、この7科は17世紀のイギリスで大学の科目として正式に定められ、アメリカに継承されました。
現在のアメリカのリベラルアーツ・カレッジでは少人数制による
「基礎的な教養」

「論理的思考力」
の習得に重点を置いています。


リベラルアーツ教育の目的は、『基礎的な教養を形づくり、人としての根幹部分をつくる学び』です。

 

 

次に、リベラルアーツの言葉の定義について説明しましょう。

 

「リベラル」と「アート」の意味

リベラルには、「自由人にふさわしい」という意味があります。

アートは、元々ラテン語のarsが語源です。

このarsという言葉には様々な意味があり、その中に「学問」という意味も含みます。

 

英語圏では、このARTを「人間が作ったもの」と解釈し、
その反対語のNATUREを「神がつくったもの」と解釈します。

ART

NATURE

英語圏 Things human made Things God made
日本 人為のもの 天然のもの

 

 

ここに、日本と英語圏の認識の根本的な違いがあります。
ARTに関する解釈は、日本語も英語も大差はありません。

 

しかし、NATUREに関してはどうでしょうか?
現代の日本語でいう「天然」とは、神が作り出したものではないですよね?

「自ずからそこにあるさま。あるがままのさま」という意味が一般的な解釈です。

 

日米の認識の差

日本では「文系・理系」という分類の仕方をします。

一方の欧米圏では「Art・Science」という分類をします。

 

例えば、大学を卒業したときにもらえる学士。

アメリカでは「BA (Bachelor of Art)」か「BS(Bachelor of Science)」がもらえます。

 

ここで言うScienceとは『神が作った世界(自然界)の法則を見つけ出す学問』という考えです。
なので、BSには自然科学、社会科学、応用科学、形式科学が含まれます。

ちなみに、経済学も経営学も文系教科ですよね。

「自然界の一部である人間社会が対象になる」ので、Scienceの一部である社会科学に含まれます。

 

反対にArtとは『人間が作ったもの』であり、これを研究するのがBAの勉強です。
なので、BAでは文学、歴史、哲学、美術、建築、音楽などを学びます。

 

面白いのは、数学ですね。
日本では自然科学分野ですが、数学とは元々自然界には存在しない人間が作ったものです。
本来なら、Scienceには入りませんが、学問をするためのツールとしてFormal scienceという枠組に入ります。

 

つまり、リベラルアーツとは、全てのアートとサイエンスの基礎科目であり、

これらの科目全てを履修した後に自分が勉強したいメジャー(専攻)に進みます。

 

 

 

2.アメリカにおけるリベラルアーツ

 

この項目では、

・アメリカにおけるリベラルアーツの歴史

・アメリカのリベラルアーツ・カレッジ

について、簡単に説明します。

 

【アメリカにおけるリベラルアーツの歴史】

大英帝国から独立を目指していたアメリカは、ジョージ3世という独裁者からの支配からの自由を目指しました。

そういった流れの中で、アメリカがまず目指したものは

『民主主義を守る自由市民の教養・思考力・判断力を養うこと』

でした。

そこで、建国前からアメリカは「教育」に力を入れました。
特に力を入れたのは「リーダーの育成」でした。

 

そこで、ハーバード大学(設立当時は、ハーバード・カレッジ)が、1636年に設立されました。

ハーバード・カレッジの目的は、リーダーの育成



従来のヨーロッパ型のカリキュラムではなく、

古代ギリシア・ローマの学術機関で教えられていた「リベラルアーツ七科」の発想をもとに、

ハーバード・カレッジのリベラル・アーツ教育のカリキュラムを独自に作っていきました。

 

『特定分野の知識・技術を狭く極めるのではなく、広い視野に立ったものの見方や考え方を身につけることに重きを置くリーダーを育成する』

が、その理念でした

 

 

【アメリカのリベラルアーツカレッジ】

アメリカには、リベラルアーツに特化した少人数クラス主体の「リベラルアーツカレッジ」という学校が存在します。
その中には、名門総合大学よりも高い評価を受けている学校も多いです。

 

その特徴は少人数クラスで、学生同士、教員と学生が真剣に、かつ親密に付き合えることです。
また、基本的に全寮制なので、共同生活の中で社会秩序や規律を学ぶ事が出来ます。

 

更に、様々な国籍の学生と共に学ぶので、異文化を肌で学ぶなかで自国の事も学ぶ事が出来ます。
これはすなわち、

「世界の中の自国」「自国と他国の繋がり」を学ぶ経験を通じて、自身のアイデンティティを育てる事が出来ること

に一番のメリットがあります。

以前、「アメリカを読み取る」という記事の中で、「WHO IS US?」というキーワードを挙げました。

この「WHO IS US?」という問いかけは、彼らの建国の歴史に大きく関わっており、

アメリカ人は自然とこの質問を自身への問いかけとして持っていると思います。

だからこそ、アメリカは世界のアメリカになれたのだと僕は思っています。

 

【アメリカを読み解く】地政学的視点とフロンティア精神がキーワード

 

 

 

3.日本におけるリベラルアーツ

日本では、

「リベラルアーツ」=「一般教養学」

という認識が一般的だと思います。

しかし最初に述べたように、日本の一般教養学は、本来のリベラルアーツとは意味合いが違います。

 

何故、こんなにアメリカを初めとする英語圏と日本の間で違いが生じたのでしょうか?

 

そもそも、現在の日本の教育システムが出来上がったのは明治時代です。
東大を初めとする日本の名門大学の多くが明治時代に設立されています。

 

東大(1877年)
京大(1897年)
一橋大(1920年)
慶応(1858年:江戸時代)
早稲田(1882年)
同志社大(1875年)

この時に、何故、欧米の教育システムが間違った形で日本に移植されたのか?

 

明治時代の教育輸入

【理由①】
あくまでも僕の推測ですが、「近代化」「欧米諸国に追いつけ追い越せ」の気持ちが先走りすぎた結果。

 

【理由②】
日本の精神文化の中に「Thing God Made」というものが存在しなかった事。

ART

NATURE

欧米圏 Things human made Things God made
日本 人為のもの 天然のもの

 

その結果、日本の「文系と理系」という枠組自体が、欧米の「ArtとScience」という枠組とは違う形で解釈され、現在に至ったのだと思います。

 

 

また、日本の大学では全寮制の大学というのは、ほとんど存在しません。

さらに、学生は回りに日本人だらけという環境では、

「世界の中の日本」「日本と他国の繋がり」を肌で経験できる機会は、アメリカの学生に比べて非常に少ないです。。。

 

そのまま日本のローカル企業に就職してしまっては、「日本人」や「日本社会」が当たり前になってしまい、

「日本人とは何か?」
「日本文化とは何か?」
「日本人を日本人たらしめているものは何か?」

などを考える機会はまずないでしょう。。。

 

僕は、海外に出ることが出来たので、

「日本人とは何か?」
「日本文化とは何か?」
「日本人を日本人たらしめているものは何か?」

という事を考える機会に恵まれました。

 

僕は、日本人は世界でも最強の国民だと信じています。

そのためには、「まず己を知り、そして相手を知ること」です。

 

 

4.日米の大学教育の根本的な違い

日米の教育方法の違い

日本の教育(特に受験教育)は、専門的な知識を問う教育がメインです。
それはつまり「調べれば分かる事」を教えます。

その一方、アメリカの教育は、分析力や判断力、コミュニケーション能力を育てる教育を行います。

 

日米の教育の違いの一例

【日本の授業】
Q.南北戦争中に、奴隷解放宣言を行い連邦軍の戦っていた南部連合が支配する地域の奴隷たちの解放を命じたアメリカ16代大統領は誰か?それはいつか?

 

【アメリカの授業】
Q.あなたがリンカーンだったら、奴隷解放宣言を行ったか?その理由は?

 

という「奴隷解放宣言」という同じテーマでも、全く違う授業を行います。

アメリカの授業では「YES」「NO」を答える質問を行いません。

その反面、当時の時代背景、メリット・デメリット、その後の推測などを個人が考え、それぞれが対話を行います。

この対話によって、相手の意見を尊重しながらコミュニケーション能力を養うという教育をしていきます。

 

決して、詰め込み教育全てが駄目というわけではありません。
単に人物名や年号を覚えても、試験が終われば忘れてしまいます。

そうではなく、その知識を知恵に変えないと意味がありません。

 

詰め込み教育に関して、とある伝説の国語教師の言葉を引用します。

時には苦しいけども読む、書く、そして考える。そうしてみると、その時は目一杯でもあとで「心のゆとり」となって、必ずわが身に返ってきます。
それが”教養”なのです。
(中略)必要以上に勉強したことがゆとりにつながる。これが本当の意味での「ゆとり教育」なのです。
(中略)本当のゆとり教育というものは「詰め込み」が重要になってくると思います。
もちろん、受験のための詰め込み教育は問題外です。ここで言う詰め込みとは、いわば「教養の詰め込み」のこと。
この上積みこそが、受験などという近視眼的な目標ではなく、人生の方々で待ち受ける難問にぶち当たったとき、必ず役に立つわけです。(一生役立つ学ぶ力 P148-150)

 

 

 

【大学の入学システムと授業~アメリカの大学】

1.アメリカの大学

アメリカの大学は、大学そのものに出願して入学。
専攻を決めるのは2年生を終えてからになります。

また、アメリカの大学を卒業し、社会に出てから付いて回るのは「どこの大学を出たか?」ではなく

1.「どんな専攻をしたのか?」が重要で、
2.次に、その学位が『博士(PhD)』『修士(Master)』『学士(Bachelor)』のどれか?
3.最後に、その学位をどこで取得したか?つまり大学名

が聞かれます。

そして、アメリカ社会では、学士(Bachelor)よりも修士(Master)の方が価値が高いので、一度社会に出たとしても、再び学校(大学院)に行く人は多い。

というハッキリした学歴社会が存在します。

 

2.僕の経験

僕は、アメリカの経営大学院時代に、僕の事を気に入ってくれた教授から、特別枠という事で学部生の授業に(無料で)参加させてもらった経験があります。

そこでは、毎回世界の歴史、文化に関するテーマについて、議論を交わすという授業が行われました。
僕は拙い英語力を使いながら、
「日本の食文化」
「日本の干支」
「ネイティブアメリカンと日本人の関係」
などをテーマに話した事があります。

また、経営大学院の国際ビジネスの授業では、僕も含め17カ国の留学生と机を並べ学んだ中で、いかに自分が日本のこと(ビジネス面、歴史、文化等々)を知らないか痛感しました。

こういった経験を通じ、知識を知恵としてきました。また、日本人としてのアイデンティティを自ら育てる事が出来ました。

 

 

3.今後のアメリカの大学教育システムの変化

グローバル化とインターネットの拡大が凄い勢いで進む中、アメリカ国内の大学ではオンラインで授業を履修して学位を取れるようにしている学校が増えてきています。
(MBAもオンラインが増えてきています)

そんな中、アメリカの大学の学費も年々増加してきており、
「アメリカのトップ校に通えるのはお金持ちのエリート層」
というのが、どんどん広がっています。

 

オンラインで学位を取ることが出来ても、実際に寮に住み同じクラスで討論しあった学生同士の繋がりは強いものになります。

そして、その両者の間でのみ本当の情報は共有され、富める者は富んでいきます。
そうなると、学位はただの学位になります。

アメリカの10~15年後は、更にその情報の格差が広がっていくと思います。

 

 

【大学の入学システムと授業~日本の大学】

1.日本の大学

日本では、大学に入るときに、大学そのものではなく、志望大学の学部ごとに入学試験があります。

そして、「どういった授業を受けたいか?」ではなく、「どの試験が自分にとって受かりやすいか?」で学部を決める人が多いです。

また、日本では卒業後に
1.「どんな専攻をしたのか?」ではなく
2.「どこの大学を出たか?」が問われます

さらに、就職活動における「新卒採用」というシステムがある以上、文系に関しては大学院に進む人はほぼ居ません。

 

 

2.僕の経験

日本の大学教育が全て悪いとは思っていません。

僕は日本の大学時代では、人文学部欧米文化学科に所属していました。
3年次からは「アメリカの文化・歴史」をメインに勉強してきましたが、それ以外にも日本文化学科の授業や、社会学部の授業なども履修しました。

今にして思えば。経済学部や経営学部の授業も履修しておけば良かったなとは思いますが(笑)

 

TERUの母校

僕の母校は、少人数教育が一番の特徴です。

1年次から始まるゼミでは「教授1:生徒3」という授業もありました。
(多くても学生は15人くらいでしょうか)

決して、授業をサボる事はできないし、レポートも毎週ありました。
宿題こそ多くは無かったですが、予習していくのは当たり前の授業が多く、一般的に考えられている日本の大学生生活とは違う4年間を送れたことは、凄くいい経験になっています。

 

また、大学の卒業論文では湾岸戦争におけるアメリカのメディア戦略に関しての論文を書きました。

「何故アメリカは湾岸線戦争におけるメディア戦略を徹底させたのか?その背景、歴史的な理由」
などを毎週の指導教授とのオフィスアワー、年一回のゼミ合宿で他のゼミメンバーと討論し、仕上げる事ができました。

 

 

 

3、今後の日本の大学変革

日本の大学の受験制度が変わらない限り、中学校・高校での受験授業は代わることはありません。
だったら、日本の大学が変わるしかないのではないでしょうか??

そして、少子高齢化で若年層が減っている中、

今後は今までの「大規模教室での授業」から「少人数教育」へと教育が変革していくのは明らかです。

 

僕の母校は、今変革期を迎えていています。
「総合科目」としてこのように6つの分野を1~4年生まで自由に履修する事が出来ます。

また、それぞれの科目が「講義形式」と「実戦形式」の授業形態に別れています。

大学(母校)の総合科目カリキュラム

一番最初の「リベラルアーツとは?」で話したリベラルアーツ7科に沿ったような古い体系の教育では、

現代の激動の時代のスピードには付いていけませんし、何よりも「デジタルネイティブ」と呼ばれる世代は不満を持ちます。

そこで、様々な授業を取り入れて大学の教育レベルを上げていく事が大事になっていくのは明らかです。

 

 

 

5.まとめ

ソクラテスもヘーゲルも言っているように、人間には「対話」が必要です。

勿論、その対話は「前提を共有する」事からスタートです。

 

アメリカの教育では、対話を通じて
・分析力
・判断力
・リーダーシップスキル
・論理力
・コミュニケーションスキル
・コミュニケーション能力
を高めていく教育をしていきます。

 

しかし、日本の殆どの教育現場では、それは行われません。

一番の原因は、今まで述べてきた「リベラルアーツ」への考え方の違いから来るものです。

 

もし日本の大学が本当の意味でのグローバル化を進めたいのであれば

『日本の大学教育の良いところは残しつつ、学問体系を欧米式に整えなおす』

『ちゃんとしたリベラルアーツ教育を導入する事』


『世界中から留学生を集めるシステムを作る事』

の3つが大事です。

 

 

大学に頼るのは納得できない。
自分で、リベラルアーツ感覚を養いたい!
ということであれば・・・

『外国人との生活を共有する時間を増やす』

『日本を一度(短期でもいいので)離れて、日本のことを客観的に見てみる』

の2つです。

ちなみに、外国人との生活を共有する事は、何も国外に出ろと言っている訳ではありません。
予算的、時間的な制限もある人もいると思うので、ゲストハウスに半月だけでも暮らしてみる事もいい経験です。

 

 

「グローバル化」という言葉は、教育の場でも、会社という場でも叫ばれています。

しかし、日本では、
「9月入学にする」
「英語による授業の拡大」
「社内公用語を英語にする」
という、

ただの化粧を行うだけで、根本的な教育の柱という部分を抜きに話が進んでいます。

 

国際標準語である英語を話せるようになることが大事なのではなく、

「日本人であるというアイデンティティを自信を持ち、世界の中で活躍できる人財を育てる事が大事!!」

 

 

そのための基礎が「リベラルアーツ」です。

異文化に対する知識は、インターネットや本を通じて得ることが出来ます。
しかし、その知識を使える知恵にするためには、「経験」が一番のファクターです。

 

リベラルアーツを学ぶという事が、知識を知恵に変えることが出来る経験の1つである事は間違いありません。
その上で、異文化の人との生の交流の中で、その知識が更なる知恵に進化していくことは、僕も自信の経験を通じて実感しています。

 

そして、最後に一言・・・。

 

日本人にとっての、もっと大事な基礎は「国語力」です。
日本人にとって、すべての学問の基礎になる「国語力」を付ける方向に、もっと力を入れるべきです。

僕も国語力が決して高いとは言えないので、日々勉強の毎日です。

 

日本語を学び、その上で、本物の「リベラルアーツ教育」を学び吸収していくことが、衰退の一歩を進む日本の国力を支え押し上げる一つになることを切に願います。

 

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