アメリカ人と日本人の一番の違いは「論理的思考(ロジカル・シンキング)」。その差を生むものは何なのか?

TERUです。

アメリカ人と、日本人の一番の違いは「論理的思考(ロジカル・シンキング)」。論理的思考の差を生むものは何なのか?

最近、英語を勉強しなおしています。

その中で、英語と日本語の構造の違いについて、再確認をする事が多々ありました。

 

そして、「論理的思考」というものをキーワードに、

・英語と日本語の違い
・アメリカ人と日本人の違い

について考えてみました。

※論理的思考=ロジカル・シンキングですが、この記事では「論理的思考」で統一して書いています。

 

 

英語と日本語の特徴について

【英語の特徴】

初めに結論を示し、あとから不定詞や関係詩を使って細かい事を説明する。
つまりは、足し算の言語であり、誤解を恐れずに言うのであれば「英語は、相手に対する不信感に根ざした言語」である事です。
※この理由に関しては、後述しています。

 

【日本語の特徴】

最後に、肯定文か?否定文か?あるいは疑問文か?が明らかになる。
つまりは、「日本語は、相手の信頼を前提にした言語」であるという事です。

 

 

論理的思考を生み出すものとは?

「論理的思考」を生み出すものについて考えてみましょう。

アメリカに10年住んでいて感じる事が1つあります。

 

それは・・・
欧米諸国と日本では、「自己」と「他者」に関する考え方が全く違う。という事です。

 

欧米では、親だろうと、兄弟・姉妹だろうと、自分にとっては他人。

他者とはお互いが別個の人間である以上、そう簡単には通じ合えない。

という意識が、根底にはあると思います。

ましてや国同士ともなれば、なおさらです。

 

だから、他者との会話の中で論理的思考と言うものが、絶対的に必要になっていきました。

 

では、そもそも論理的思考とは、どこから生まれるのでしょうか?
それは、「他者意識」です。

では、その「他者意識」とは何か?
それは、自分以外の他人を、自立した個人として認識する事」です。

 

 

アメリカ人の論理的思考は、どこから生まれたのか?

アメリカ合衆国が建国された頃、アメリカの国民達は
・民族
・宗教
・文化
・言語
全てが異なる人達と、共同社会を作る必要がありました。

 

彼らは、お互いに理解しがたい他者でした。
そういった他者同士が1つの社会を作らないといけなかったので、当然交渉術が発達しました。
(その一方で、自分自身の身を守るために拳銃はどうしても手放せなかった。という事実もありました・・)

 

以前、この記事(【アメリカを読み解く】地政学的視点とフロンティア精神がキーワード)でも書きましたが、

アメリカという国は、52の州から成り立っています。
その州ごとに法律も違えば、文化も違います。その多様性さ故に、衝突もありました。

その結果、アメリカは契約社会としても発達していきました。
契約社会とは、お互いに信用できない人間同士のやり取りです。

 

そこで・・・

『相手がどういう人物かではなく、契約が全て』

『それが正しく履行されるために、裁判が日常的なもの』

となっていったのです。

それゆえに、言語は当然 ”論理的” なものとなりました。

 

お互いが分かり合えない事が前提なので、相手とのコミュニケーションに「論理的思考」が欠かせないものとして、発達してきました。

 

 

日本では、何故「論理的思考」が生まれなかったのか?

一方で、日本は地政学的な地理的条件からも、現代のような「自由な移動」と言う概念はありませんでした。

日本人ほど、「先祖代々の土地」という概念に縛られている民族は居ないのではないでしょうか?
つまり、先祖代々隣の家の人間と1つの社会を構築しなければならなかったのです。

 

そのコミュニティーで生まれるコミュニケーションとは

「お互いに何も言わなくても分かり合っている集団」

「以心伝心が重要となって、言語は必然的に感覚的なものになった」

という事では無いでしょうか?

 

つまりは、先祖代々の小さなコミュニティー間では、相手を説得したりする必然性が無かったのです。

なので、狭い集団の中でうまく立ち回らないと生きていけず、「村八分=死」を意味しました。

 

また、以前の記事でも書いた「適度な湿度」なども、日本人特有のコミュニケーションに影響を与えていると思います。
記事:日米のコミュニケーションの違いを生む2つの理由を考察してみた

 

 

そんな日本人が、明治維新後に突然全くコミュニケーション手段が違う世界に放り出されたのです。

 

しかし、人・モノ・カネの移動が自由になりつつある現代社会において、民族・言語・宗教・文化の異なる人達とコミュニケーションを行う上で、「他者意識」というものが、これからの日本人には必要になっていきます。

 

 

まとめ

アメリカ人と、日本人の一番の違いは「論理的思考」だと思います。

 

その1つの原因となるのは、言語構造。

英語:初めに結論を示し、あとから不定詞や関係氏を使って細かい事を説明する。

日本語:最後に、肯定文か?否定文か?あるいは疑問文か?が明らかになる。

その言語構造の違いを生んだものは、国の成り立ちの歴史や、地政学的条件、気候の違いなどだと思います。

 

ただ、勘違いして欲しくないのは、英語が優れていて日本語が劣っている。と言いたいのでは無い!という事です。

両方の言語背景を知って、文化背景を知って、それらを自分なりに使いこなせて行けばいいとおもっています。

 

日本人的感覚をベースに、欧米的感覚を武器にしていける人間が、これからの国際社会のリーダーになっていくことでしょう。

 

僕は、このブログを通じて、「後悔しない人生を歩んでほしい」というテーマで色々なことを発信しています。

つまり、それは「個人として自立する事」を意味します。

 

その為には

1.他者意識を持つ(=自分以外の他人を、自立した個人として認識する)
2.論理的思考という武器を持つ(=個人と個人のコミュニケーションに欠かせない)

が、日本人には求められていると、この10年間のアメリカ生活で感じました。

 

英語と日本語の違いについて
アメリカ人と日本人の違いについて

何かの参考になれば幸いです。

6件のコメント

    1. 名無し様
      コメント(ご指摘)有難うございます。
      私のタイピングミスでした。
      今後、このような事がないように投稿する前にダブルチェックいたします。

  1. 言わんとされることは理解できますし、言語構造については共感する部分があります。
    ただ、アメリカ合衆国の誕生以前から英語があるわけですので、アメリカ社会から生まれた英語のような部分が受け入れられませんでした。
    日本語については確かに最後まで聞かないとわからないものですが、「全く」とか「決して」が最初に来ると言わずもがな否定形になるなどの工夫もあったと思います。今は乱れていますが…

  2. 通りがかりです。
    >アメリカ人と、日本人の一番の違いは「論理的思考」だと思います。
    最近、私も気が付きました。日本在住です。

    「プロテスタント」が鍵と思います。

    ファクターは「文字・言語」と感じます。
    世界史でイギリスにおいて産業革命が起こったとありますね。
    なぜイギリスだったのでしょうか?
    ギリシアでもフランスでも中国でもロシアでもよかったのに。

    最近、コンピュータ・プログラミングを学びました。
    アメリカで発達した「それ」は「論理的思考」そのものでした。:)

    1. コメント有難うございます

      「プロテスタント」確かに大事な要素ですね。
      思考の違いの要因は、沢山あると思いますが、「宗教」は大きな違いだとアメリカに住んでいて実感しています。
      なぜ産業革命がイギリスで起こったのか?
      調べて、ブログ記事を書いてみようと思います。

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