TERUです。
ここ最近、とある会合で
「なぜ韓国(国民ではなく、国として)は反日なのか?」
というテーマが出ました。
日本国外にすんでいると
★政治
★宗教や皇室
★国際情勢
といったテーマが不通に出てきます。
バイデンさんが大統領になった今、最低でも今後4年間は、今まで以上にグローバル化(無国籍化)が進んでいくでしょうし、その波は個人としては抗う事はほぼ不可能です。
そんな時代だからこそ、
日本国内では普通でも、日本国外だと普通じゃない事
に目を向けて、アンテナを張って、情報収集をしていくことが大切だと思っています。
情報収集の1つの方法が
★「地政学」を学ぶこと
だと、ブログでは昔から伝えています。
今回友人間で話した「日韓の問題」も、感情論だけで語るのではなく
・地政学的観点
・日韓両方からの歴史的観点
・欧米諸国からの分割統治手法
など、様々な視点から俯瞰的にみる事から、色々なことが見えてきます。
特に日韓の国家間となると、そこには様々な壁や障害がありますが、それは感情論によるものが多いと思います。
そこで、今回は「何故、韓国は反日なのか?」を地政学的視点から見ていきたいと思います。
「地政学的視点で見る」に関しては、こちらの記事(地政学の基礎を分かりやすく。世界の見方がガラッと変わります!)でも書きました。
ポイントは、 「感情」をひとまず置いておいて「リアルな視点」で物事を捉える。という事です。
そうする事で
・何故、韓国は反日なのか?
が見えてくるようになります。
そこで、
今回から『何故、韓国は反日なのか?』というテーマで
日韓関係①「朝鮮半島の歴史を知れば、韓国の今が見えてくる」
日韓関係②「日韓の歴史~「秀吉」と「明治維新」が反日思想を生んだ」
日韓関係③「日韓併合と竹島問題。現在の韓国の反日思想は誰が作ったか?」
という3つの視点から、考察してみます。
今回の記事では、韓国という国を理解するために、まずは朝鮮半島の歴史を見ていきたいと思います。
※「朝鮮民主主義人民共和国=北朝鮮」「大韓民国=韓国」として書きます。
【目次】
1.朝鮮半島の歴史を知る
2.朝鮮半島における文字の歴史と、中華思想
3.中国王朝の衰退と、韓国の小中華思想
4.まとめ
1.朝鮮半島の歴史を知る
朝鮮半島(現在の北朝鮮と韓国)は、その地理的制約条件から大陸(中国各国家、モンゴル帝国など)から何度も侵略され続けました。
歴代中国王朝が国変わりする度に朝鮮半島は侵略されてきました。
その結果、彼らは紀元前から約1500年間もの間(朝鮮建国から清国からの独立の間)、中国の(ある意味)属国としての支配を受けてきました。
※地理的制約条件に関しては、「【地政学】地図、地理学が地政学の基礎。「地理的制約条件」とは?」で書かせてもらいました。
・紀元前108年:漢の武帝が衛氏朝鮮を滅ぼす(その後、晋へと続く)
・313年:高句麗が中国の出張所を排除する★唐の250年間の実効支配の時代
・660年:新羅・唐連合軍、百済を滅ぼす
・668年:新羅・唐連合軍、高句麗を滅ぼす
・918年:王建が新羅を滅ぼし高麗建国★宋、契丹、金の296年間の実効支配の時代
・963年:高麗、宋に服属
・994年:契丹に服属。
・1126年:金に服属。★元の133年間の実効支配の時代
・1259年;高麗、元(モンゴル帝国)に服属★明の244年間の実効支配の時代
・1392年:李成桂、高麗王を殺し李氏朝鮮建国し、明に服属
・1627年:後金(後の清)、明と同盟関係にある朝鮮に侵攻★清の240年間の実効支配の時代
・1636年:清と朝鮮軍の戦い。朝鮮王は清の皇帝の前で服従する誓いをさせられる
・1876年:日朝修好条規締結。朝鮮開国★中国王朝からの実効支配の時代の終焉
・1895年:下関条約により、朝鮮が清より独立。
この年表と地域年代別対照表をご覧下さい。
(※地域年代別対照表は、リンクをクリックすると出てきます)
中国王朝が上の年表にもあるようにコロコロ変わるので、その度に「前の中国王朝とつるんでたのはけしからん!」という事で攻め込まれます。
そこで、古い朝鮮王朝は潰され、新しい朝鮮王朝は新中国王朝に従属するという歴史を持っていたことが分かります。
しかし、新中国王朝に反旗をひるがえした王朝は、散々な末路を辿る事になります。
例えば、元に屈しなかった高麗は都を全部焼かれ20万人もの朝鮮人を拉致されたという記録があります。
また李氏朝鮮は、新王朝(清)に反旗をひるがえした結果、国土は滅茶苦茶にされ屈辱的な講和条約を結ばれてしまいました。
誤解を恐れずに言うのであれば、朝鮮半島の各王朝は「強い国に付く」という歴史を持っています。
そうしなければ、何百年も前に中国歴代王朝により朝鮮半島の歴代王朝は消滅されられていた事でしょう。
朝鮮半島の持つ地理的制約条件から、それは自分の身を守るために最善の策であったと思います。
高麗の時代から、中国の科挙試験を見習って朝鮮式の科挙試験制度があり、その時から漢字を使用していました。
しかし、本来の朝鮮語は漢字ではなかった為に、科挙制度で使われる漢文を理解し勉強するのは大変でした。
科挙試験に受かるのは朝鮮の中でもエリート中のエリートのみでした。
当時、朝鮮国内で問題の1つが、識字率の異常な低さでした。
そこで、李氏朝鮮第四代国王の世宗が「朝鮮語を表す文字を作ろう」と言い出して、学者を集めて作ったのが今のハングル文字です。
しかし、ハングルを作ったのはいいのですが、全然普及しませんでした。
何故かというと、エリートの官僚達が反対したからです。
科挙試験に受かり、漢文を扱う彼らの中では
・ハングル=文明人が使う文字ではない
という感覚があったからです。
高麗王朝の国教は「仏教」でした。
その後、朝鮮王朝になったときに、国教が「儒教」に代わり、朝鮮王朝は典型的な儒教国家になりました。
儒教は人間の身分の違いを認める思想があるので、朝鮮王朝では厳格な身分制度が採用されるようになりました。
その身分制度のトップが両班(ヤンバン)と呼ばれる貴族階級でした。
※身分制度の上に君臨したのが、王族でした。
この儒教的な身分制度に加え、朱子学的な思想も加わり、
『中華思想では漢民族考えが世界で一番正しく進んだ文明であり、漢民族以外は全てが野蛮人(夷狄(いてき))である』
文明人が着る物、読み書き、制度の全て使う我々が文明人である。
=「中国は中華、朝鮮王朝は小中華であるという考え」
という考えが、エリート層の頭の中に生まれました。
ここで、不思議なのが、
「どうして支配されている側が、こんなにも支配層を敬うのか?」
という事ではないでしょうか?
当時の中国王朝は、「我ら(中国王朝)が世界の支配者である」という考え方がありました。
(今のように、世界の広さが分かっていない状態ですから、それは当時の当たり前の感覚です)
そして周辺諸国を制圧するには、力だけでは駄目だという事を知っていたので、
「形式的に臣下になって朝貢すれば、充分な見返り(返礼品)を与えますよ」
「もし、あたなの国が攻められたら、助けてあげますよ」
という形式を取っていました。
支配国 :面子をたもてる
被支配国:返礼品で儲かるし、何かあったら守ってもらえる
という封建制度が、当時の東アジア圏での常識でした。
朝鮮半島の王朝は、下関条約で独立を果たすまで、長い間そのように国を守ってきたのです。
中国王朝とは言っても、すべての王朝のトップが漢民族であったわけではありません。
夏 → 殷 → 周
・春秋時代 前770~前403 周が衰え、諸侯が争った時代
・戦国時代 前403~前221 七国(韓・魏・趙・斉・秦・楚・燕)が争った時代
秦 → 漢(前漢) → 新 → 漢(後漢)
・三国時代 :220~280 曹操の魏、孫権の呉、劉備の蜀が争った時代です。
晋(西晋) → 東晋
・五胡十六国 :304~439 異民族が華北に侵入し、興亡をくりかえした時代
・南北朝時代 :439~589 華北の王朝と東晋の後継王朝が南北に分かれて統治した時代
隋 → 唐
・五代十国 :907~960 唐が滅亡した後、宋が再統一するまでの間の時代
宋(北宋、南宋、遼、金が乱立) → 元 → 明 → 清
→ 中華民国 → 中華人民共和国
====================================
これらの王朝の中で、漢民族以外の王朝が支配した王朝は「遼、金、元、清」です。
李氏朝鮮の時代には中華思想が特に強かった時代でした。
そんな中、服従していた漢民族王朝であった「明」が、満州民族(北狄)である「清」に滅ぼされます。
その結果、李氏朝鮮は
「世界で唯一の文明国家は自分達である。明は無くなったが明の思想は我々が引き継いでいる」
という考えになっていくのです。
このように、朝鮮半島(朝鮮王朝)は、その地理的制約条件から歴代中国王朝の影響を色濃く受けています。
今現在は、朝鮮半島は韓国と北朝鮮に分かれています。
この2国のDNAには、誤解を恐れずに言うのであれば「強い国に付く」という歴史を持っています。
そういうDNAを持たなければ、何百年も前に朝鮮半島の歴代王朝は無くなり、現在の韓国、北朝鮮という国は存在すらしなかったでしょう。
そもそも日本とは地理的条件が建国時から違うこともあり、韓国、北朝鮮の事を根本から理解しようとしても難しいという現実があります。
「だから韓国人は〇〇なんだ」
と言っても、正直しょうがないんです。
ただ、このように相手国の歴史を学ぶことで相手の考え方の根本の一部を見ることは出来ます。
その上で、お互いを理解しあうことが大事なのだと思います。
僕は、留学中に韓国人の友人がそれなりに居ました。
一番の親友は、アパートの隣に住んでいた韓国人でした。
彼とは、今でも連絡を取り合っています。
偶然、お互いの両親が同じ時期にアメリカに遊びに来たので、全員で食事もしました。
その時は、「韓国人は本当に反日なのだろうか?」と考える日々が続きました。。。
そこで、次回の記事では、
「日本の歴史と朝鮮王朝の関係」を見ていき、「韓国が反日になった知らせざる2つの理由」
に関して、今回の「朝鮮半島の歴史」と「日本の戦国時代以降の歴史」を一緒に見ながら、僕なりの考察を書いてみたいと思います。
今回の記事が何かの参考になれば幸いです。