TERUです。
日本と韓国の間には、
・従軍慰安婦問題(これは、朝日の捏造だという事は判明しています)
・慰安婦像問題(こちらの記事を参考にして下さい)
・竹島問題
・お互いの歴史認識の相違(韓国併合等)
など、様々な問題があります。
これらを、感情論で話すのではなく、今までの記事で書いてきたような視点で見ていく事が大切です。
特に、隣の半島で数年内に何が起こるか分からない現代において、
お互いの歴史や問題の経緯を知っておくことは必須です。
『何故、韓国は反日なのか?』として2記事書いてきました。
①朝鮮半島の歴史を知れば、韓国の今が見えてくる
②日韓の歴史~「秀吉」と「明治維新」が反日思想を生んだ
これらの記事では、
・朝鮮半島の歴史
・韓国で反日思想が出来上がった2つの原因
に関して、「戦前の歴史」にフォーカスしました。
今回の記事では、「戦後の歴史」にフォーカスして
「日韓併合と竹島問題。現在の韓国の反日思想は誰が作ったか?」
というテーマで書いていきます。
今回の記事で、『何故、韓国は反日なのか?』シリーズは終わりになります。
1.清の衰退~日韓併合へ
2.第二次世界大戦後~朝鮮戦争
3.竹島問題は何故起こったのか?
4.今の反日を生み出したのは誰か?
5.まとめ:歴史は繰り返す。
清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争を経て、かつて東アジアにおいて強大な力を持っていた清は弱体化しました。
その様子を見ていた朝鮮では、国内で内部分裂が生まれます。
『今まで通り中国と組んでいく(事大党、ランドパワー派)』 |
VS |
『これからは日本と組み、清から独立すべき(開化派、シーパワー派)』 |
という2つの対立が生まれることになります。
そして、時は過ぎて1894年の日清戦争。
アジアの新興勢力である日本に敗れた清を見て、
欧米列強各国は「清は、もはや『眠れる獅子』ではない」という認識を持ち、欧米列強が租借地を奪い、清を半植民地としていきます。
それを見ていた朝鮮王朝内での「事大党」勢力は弱まりことになります。
そんな「事大党」勢力は、今度は世界最大のランドパワー国家ロシアに近づきます。
そして、時は過ぎて1904年の日露戦争。
日露戦争で日本が圧勝したのをうけ、この時点で朝鮮から見た一番の脅威は「日本」に変わったのです。
「日本は脅威である=日本は強い国である」
朝鮮王朝は、日本に擦り寄る外交に変わっていきます。
その結果、朝鮮国内で日本と合併しようと言う運動が生まれます。
それが、今で言う「日韓併合」です。
日本は、ランドパワー強国であるロシアの南下政策の備えとして、朝鮮に対して自立を求め様々な支援をしました。
しかし、その改革運動は失敗に終わります。
その中で、当時(自称会員)100万人を誇る韓国最大政党である「一進会」が、日本との韓国併合を推進していきます。
「ロシアの南下を危惧していたイギリスを始めとした欧米主要国」は、日韓併合に対して反対はせず、各国の賛成を得ることになります。
朝鮮国内でも、一進会も併合を望んだ為に日本は韓国併合に乗り出すことになります。
1910年8月22日に韓国併合条約が日本と韓国の間で結ばれる事となります。
しかし・・
日本が統治にやってくると耳にした時、国民は猛反対しました。
他の西欧列強の統治をみても分かる通り、ただ搾取される未来が見えていたからです。
その国民の反対運動は凄まじく、14万人を超える韓国民が日本と交戦しました。
また、その交戦回数は2850回に達したと言われています。
この日韓併合に関する話は、日韓間でよく話に出ます。
朝鮮側からしたら、「そんなはずはない!」「無理やり併合されたんだ!」と全否定されています。
でも、そうとも100%言い切れないデータがあります。
例えば、「朝鮮人志願兵制度」
朝鮮人志願兵制度は、1938年2月23日、志願兵令が正式に公布されました。
志願兵募集初年度となった1938年度は、志願者2946名中、406名が合格した。以後も志願者数は右肩上がりで増え続けました。
年度 | 志願者数 | 合格者数 |
1938年度 | 2946名 | 406名合格 |
1939年度 | 1万2348名 | 613名合格 |
1940年度 | 8万4443名 | 3060名合格 |
1941年度 | 14万4743名 | 3208名合格 |
1942年度 | 25万4273名 | 4077名合格 |
1943年度 | 30万3394名 | 6300名合格 |
「朝鮮の若者は一生懸命日本人になろうとした」とまでは言いませんが、このデータは無視できるものではありません。
Wikipediaで韓国併合と検索してみて下さい。
「韓国併合を肯定的に捉える歴史認識」と「韓国併合を否定的に捉える歴史認識」の両方を見る事が出来ます。
しかし、否定的に見る認識には
①李氏朝鮮での朱子学思想(商業を蔑視し、農業を主とする経済基盤)が無視されている
②前々回の記事に書いたような「朝鮮半島の地理的制約条件による中華思想への意識に関する見解に乏しい」
という面があります。
「韓国併合」に関しては、
★朝鮮半島の歴史
★当時の朝鮮王朝
★両班の存在
など、様々な視点から冷静に見るべきですね。
大東亜戦争にて、日本が負けました。
朝鮮からしたら、あんなに強かった日本が負けてしまったわけです。
朝鮮王朝からしたら、日清戦争、日露戦争後の日本は
「日本は脅威である=日本は強い国である」
でした。
しかし、その日本もアメリカ、ロシアに負けてしまいました(実際には、ロシアには負けていませんが)
そうなると、朝鮮国内では、
「日本に勝ったアメリカ=アメリカは強い国である」
「日本に勝ったロシア=ロシアは強い国である」
という構図に変わったわけです。
その様子を見ていた朝鮮では、国内でまた内部分裂が生まれます。
『これからはロシアと組むべきだ(金日成、ランドパワー派)』 |
VS |
『これからはアメリカと組むべきだ(李承晩、シーパワー派)』 |
という2つの対立が生まれることになります。
この構図は、清が日本に敗れた後の構図と一緒ですね。
その結果国内戦争になり朝鮮戦争が勃発することになります。
そして、現在の「北朝鮮」と「韓国」に朝鮮半島が割れてしまいました。
今、日韓関係で大きな焦点となっているのは『竹島問題』です。
そもそも、何故韓国は竹島を占拠したのでしょうか?
韓国からしたら、戦争に敗れた日本に用はありませんでした。
李承晩は、韓国も戦勝国になりたかったので「対馬をよこせ」と主張しました。
しかし、そもそも日本と戦っていない韓国は、勿論その権利もなくアメリカから拒否されます。
そこで、李承晩はGHQにより全ての軍隊を解体させられ弱体化した日本を見て、竹島を占拠したのです。
昔、中田敦彦さんがご自身の動画で「憲法改正~第9条の本質に中田が切り込む」という話をされました。
滅多に動画にコメントを書かない僕ですが・・・
さすがに看過できずに、このようにコメントしました。
「日本国憲法(第9条)があることで、戦後の日本は平和を保たれた」 という解釈を与えかねない発言(17:50 -)は、どうかな?と思いました。
日本国憲法があって自衛隊が無かった時期に、竹島は奪われました。憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した・・・」と書いてありますが、それは完全に無視され、領土を奪われ、さらに拉致された日本国民は帰ってきていません。
もちろん私は戦争反対です。
でも第9条があって突っぱねざるを得なかった事で、自衛隊の方は世界の軍隊から「あいつらは何もしない(=出来ない。という事情は知らない)」と言われ続けてきています。
自民党の話など「さすがの説明です」というものばかりですが、上記の件に関しても言及した上で、日本国憲法(第9条)の話をして頂きたかったです。
でも、ここで当時日本を占領していたGHQ(主にアメリカ)が、李承晩の行為を何故見逃したのでしょうか?
【理由①】アメリカにとって、操り人形として最適だったから
【理由②】欧米諸国にとって、分断統治をする上で争いの火種は必要だったから
【理由③】竹島周辺に眠る地下資源を、いつか手中にするために韓国に支配させたほうが楽だから
色々な理由が言われていますが、どれも事実だと思っています。
アメリカによって韓国の韓国初代大統領に選ばれた李承晩。
あくまでも、僕が李承晩の事を調べて感じた推測ですが、、、
韓国の初代大統領に選ばれた李承晩の気持ちはこのようなものだったでしょう。
『アメリカと組んで、韓国をアジアの強国にしないといけない(したい?)』
『中国、日本亡き後、アジアの覇権を握るのは「我こそが正当な中華思想を受け継いだ我が韓国である」という本音』
その為には、韓国(李承晩)にとって一番邪魔な存在だった国はどこでしょう?
そう「日本」です。
自国の過去の歴史を捏造してても、敗戦国日本を落とし入れていく事が一番手っ取り早い方法だったのです。
李承晩こそが、今の韓国の反日思想を作り上げた人物です。
その理由を挙げていきましょう。
李氏朝鮮については、こちらの記事(日韓の歴史~「秀吉」と「明治維新」が反日思想を生んだ)で書きました。
李氏朝鮮からしたら、
「せっかく260年間続いていた江戸幕府との友好関係を潰してしまった明治政府は敵」
そして、
「その明治政府が作り上げた大日本帝国は敵」
という考えが、李承晩の頭の中には確実にあったはずです。
当時、李承晩政権への反発が韓国国内で生まれていました
李承晩が、アメリカによって韓国の統治者に選ばれたのは、
「英語ができた」
「李朝の王位継承権者の一人だった」
という2つの理由からに過ぎませんでした。
実際は、李承晩に政治的手腕はなく、それに反対する国内不満分子の大弾圧を行います。
弾圧例
★済州島事件(1948年4月3~9月21日/8万人が殺害されたとも言われている)
★麗水・順天反乱事件(1948年10月/一般人も含め8000人近くが殺害されたと言われている)
★国民補導連盟事件(1950年夏/犠牲者は20万人とも、60万~120万人とも言われている)
★国民防衛軍事件(1951年1月/9万人以上が餓死や凍死で命を落としたと言われている)
李承晩は、
・これらの不満分子や共産主義者への大弾圧から目をそらす為
・自らの独裁の正当性を訴える為
に、
『いかに、日本による統治が残酷であったか』
『いかに、自分達が日本の統治に抵抗したか』
という、国民の意識に中に「日本=仮想敵である」を植え込んでいく事にシフトチェンジしたのです。
こうして、「李承晩の、李承晩による、李承晩の為(保身)の日本の反日教育」は、李承晩の手によって作られる事になります。
そして、この反日教育は「朴正煕」に引き継がれていき、現在に至ります。
(参考)こちらの記事で、「両班にとって日本統治は必要なかった」という記事を書いています
朝鮮半島の歴史を振り返っても分かるように、
李承晩の頭の中には
「本当の中華思想を受け継いだ国は、我が韓国である」
「東アジアにおいて、東夷である日本よりも優位に立つべきだ」
という考えがあったはずです。
そこで、
「今、世界の覇権者はアメリカである」
「アメリカについていこう」
という考えに移行していきます。
それは、韓国内の芸能や、メディアのやり方、プロパガンダの方針をみても明らかです。
完全にアメリカ流ですからね。
※これは、決して否定している訳ではありませんが、その手法を見てみると明らかです。
さて、上記の3つの理由をまとめてみましょう。
李氏朝鮮から脈々と受け継がれた反日精神 |
李承晩による政治的・保身の理由 |
アメリカに迎合して、韓国は日本(夷狄)よりも高い地位に立つべきだと言う小中華思想 |
という3つの理由が重なり、現在の韓国の反日思想が出来上がりました。
今までの記事で書いてきたように、朝鮮王朝の歴史は「強いものにつく」事で生き残りをしてきた歴史があります。
・清、ロシアに勝った日本=強い国
・日本に勝ったアメリカ、ロシア=強い国
・清朝の衰退を見た朝鮮では『今まで通り中国と組んでいくべき』 vs 『これからは日本と組み、清から独立すべき』という対立
・日本の敗戦をみた朝鮮では『これからはロシアと組むべきだ』 vs 『これからはアメリカと組むべきだ』という対立
まさに『歴史は繰り返す』ですね。
★今回のバイデンさん就任
★中国経済の衰退。
★韓国国内での政権争い&北朝鮮との動き
これらのニュースを見るときには
①朝鮮半島の歴史を知り
②どういう政策を取ってきたかを知り
③今度、どういう動きをしてくるか
を、自ら考えていかないといけません。
「歴史とは、究極の結果論」です。
そして、地政学を一緒に勉強する事で、その国の国民性、意識なども一緒に見えてきます。
そういった意味でも、感情論を抜きにして
・正しい歴史認識
・地政学の有意義性
を、日本の教育の現場で、子供達に教えて欲しいですね!
今回の記事が何かの参考になれば幸いです。